実家の断捨離 ~通知表とか文集とか~

だま

2010年10月27日 15:17




小学校から高校までの通知表と文集。
全部、捨てました。

束が出てきたとき、上の方のやつをちらっと覗いたんです。
夏休み明けに転校した、小2の時のやつかなぁ…


「二学期:男の子に足蹴りしたりして、対等に渡りあっています」
「三学期:多くの友だちに好かれていますが、いつも2、3人で遊んでいます」

…。


なんか、なんかわかんないけど、
イラっとする自分がいる。
完全に、不快のセンサーが点滅してる…。

何が原因なのか、次の瞬間に分かりました。

出てきたのは、中学の卒業式、最後のHRに
担任の先生が配った、二枚にわたるプリント用紙。

そこには「お話するのは苦手だから…」と前置きされ
生徒一人一人への言葉がつづられていました。

当時は、うれしく読んだ記憶があります。

しかし、38歳となった今
それらの言葉は、あまりに表面的で、悪い冗談のようで…。

私が在籍したクラスは、3年生の秋以降、
完全に「学級崩壊」してしまい、
担任の先生はずっと、欠勤していました。

一日の半分以上が自習、という異常さでした。
(ほとんど、トランプをしていた気がする)

しかし。

卒業式のためだけに登校した先生が、配ったプリントには
その全てがなかったことになっていました。

自分を助けてくれたような生徒には
「あなたに癒されました」「自分で自分を成長させた人」

問題児だった同級生には
「元気がよくて、こちらが参った」
「最後まで、よく分からない人だった。お互いさま」

私のように、ふつうの生徒には
「大人っぽいあなた。イラスト上手でした」
「○○○ーと、叫んでいたあなたがかわいかった」

中学の三年間、その時その時を、
いろんな表情で、いろんな言葉で、精一杯過ごした同級生たちが、
こんな陳腐な言葉で、一言集約されちゃうなんて…。

最後の最後まで、
正面から、向き合ってもらえなかったんだなぁ。
みな、心の底では、先生を助けたいと思っていたのに。
なんか、虚しいなぁ。

そこで、先の通知表の言葉にイラっときた
不快センサーが点滅した、意味がわかったんです。

「一言集約」か。

その人の価値観で、勝手に理解され
分類され、決め付けられてるような気がして。

人は、もっといろんな事を思うし、もっと肯定的なのに!

けど、先生は先生として当然の仕事をしただけ。

先生だって、一人の人間として生きる時には
大事な人を決め付けたり、分類したりせず
心を開いて、分かち合うのでしょうから。

そうはいっても、これらの通知表の束に目を通してしまったら
絶対に、イラつく自分がいる!

人生の貴重な時間を、イライラしたくなーーーーいっ!

というわけで、束発見後3分で
後は一切見ず、紐でくくって捨てました。

が、捨てる前に、大事なこと。

ずっと、きれいにとっておいてくれた母に
「ありがとねっ!捨てるよっ!」とひとこと。

「はいはーい」とこっちも見ずに、母。

以前なら「せっかく取っておいたんだから、
大きくなったら、自分の子に見せてあげなさい!」
とかなんとか、言ってたんだけどねぇ…。






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